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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)11766号 判決

原告

須川信子

右訴訟代理人弁護士

松本勉

被告

大山義輝

右訴訟代理人弁護士

杉原裕臣

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇八万一二九〇円及びこれに対する平成五年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金三八三万円及びこれに対する平成五年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、原告に対し、昭和六三年六月六日、大阪府枚方市川原町三二二番六号所在の店舗一階部分(以下「本件スナック」という。)を、次の約定で、賃貸した(以下「本件賃貸借」という。)。

一  賃料 月額二二万円

二  保証金 金三五〇万円

三  期間 昭和六三年六月六日から五年間

2 原告は、右同日、被告に対し、右保証金として金三五〇万円を支払った。

3 原告は、被告との間で、本件賃貸借を、平成五年一〇月末日をもって終了させる旨合意した。

4 原告は、平成五年一〇月二五日、被告に対し、本件スナックを明け渡した。

5(一) 被告は、右保証金の丸取りを狙い、原告に返還しない。賃貸借における通常の使用に伴う損耗は、賃借人の支払う賃料によってカバーされるべきところ、本件において、損耗があるとしても、いずれも通常の使用に伴う損耗のレベルを超えるものはないので、原告が被告に対し交付した保証金三五〇万円の全額が返還されるべきである。

(二) 被告は、何らの理由もなく保証金を返還しないが、これは不法行為に当たるので、原告は、弁護士松本勉に対し、右保証金返還請求の訴訟の提起及び追行を委任した。右弁護士費用としては、金三三万円が相当である。

6 よって、原告は、被告に対し、次の金三八三万円及びこれに対する平成五年一一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(一) 本件賃貸借契約終了に基づく保証金返還請求として金三五〇万円

(二) 不法行為に基づく損害賠償請求として、弁護士費用相当の金三三万円

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし4の各事実は認める。

2  請求原因5(一)の事実のうち原告が被告に対し保証金を返還していないことは認めるが、その余は否認し、同5(二)事実のうち原告が弁護士松本勉に対し右保証金返還請求の訴訟の提起及び追行を委任したことは認めるが、その余は争う。

三  抗弁

1  被告は、原告との間において、本件賃貸借契約の締結に際し、以下のとおり合意した。

(一) 本件賃貸借契約終了に伴う本件スナックの明渡し完了後、被告は、原告に対し、保証金三五〇万円のうち金二二五万円を差し引いた残額一二五万円を返還する。

(二) 本件スナックの通常使用を越える特別の損害については、敷引後の金額から更に差し引くことができる。

(三) 原告が、故意過失を問わず、本件スナックに重大な損害を与えた場合、原告は、被告に対し公正なる判断に基づき損害賠償をしなければならない。原告が、賠償を支払わないとき、被告は、保証金をもって弁済に充当することができる。

2  原告の本件スナックの使用による被告の損害は、以下のとおりであり、右損害額の合計は、金三六万二九七二円である。

(一) カウンター焼け焦げ補修費用 金一一万円

(二) 床の美装工事費用

金七万七二五〇円

(三) トイレ水槽内部のロータンク破損に伴う取り替え工事費用

金五万八七一〇円

(四) 天井壁クロス及びトイレ天井壁クロスの修理費用

金一一万二〇一二円

(五) トイレの鍵の修理費用

金五〇〇〇円

3  前記2記載の損害は、本件スナックの通常使用を越える特別の損害である。

4  仮に、前項各損害が本件スナックの通常使用を越える特別の損害に該当しないとしても、右損害は本件スナックに対する重大な損害である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の各事実のうち(一)は認めるが、その余は否認する。

2  抗弁2ないし4の各事実は否認する。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これらを引用する。

理由

一  請求原因について

1  請求原因1ないし同4の各事実については当事者に争いがない。

2  請求原因5について判断する。

同5(一)の点は、抗弁1(一)の事実が当事者間に争いがないので、理由がないこと明らかである(原告は、本件賃貸借契約において、敷引の合意が原告と被告との間でなされたことを認めながら、本件賃貸借契約においては、保証金の返還額は実質的に修理に要した費用によって算定されるべきである旨主張するが、一般に敷引の合意は、賃貸借契約終了に伴う原状回復の際の複雑な法律関係を簡便に処理するものとして、有効なものと解され、慣行的にも一般に定着しているものである。本件においても、その有効性を否定すべき理由はない。)。したがって、本件において、原告が被告に対し交付した保証金三五〇万円(これは、敷金としての性質を有するものということができる。)から当然に金二二五万円がいわゆる敷引されるべきである。それゆえ、原告は、被告に対し、金三五〇万円の全額の返還を請求しうるというべき根拠はない。

同5(二)の点は、原告が被告に対し、賃貸借契約終了に基づき保証金の返還を求めるものであるが、原告は、被告がこれを返還しないことをもって、原告の権利を違法に侵害する旨主張するが、本件において、右の点が原告の権利を違法に侵害するというべき根拠はない。したがって、原告の不法行為に基づく弁護士費用相当額の請求は理由がない。

二  抗弁について

1  抗弁1(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  抗弁1(二)の事実は、いまだこれを認めることはできない。

この点、被告の供述には、本件スナックの通常使用を越える特別の損害については、敷引後の金額から更に差し引くことができる旨の合意がなされたとの供述部分が存するところ、成立に争いのない甲第一号証(原・被告間において作成された賃貸借契約書)には、かかる合意に相当する約定がないことに照らし、被告の右供述部分は採用することができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

3  抗弁1(三)の事実は、前掲甲第一号証及び被告本人尋問の結果により認めることができる。

ところで、賃貸家屋の使用に伴う損耗が右にいう「重大な損害」に当たるか否かについては、賃貸借契約の目的、賃貸物件の内容、賃料額、保証金及び敷引の額、賃貸期間その他賃貸借契約に関する事情を総合して、公平の観点から、具体的に判断するのが相当である。

この点、本件賃貸借における敷引額が金二二五万円であることは相当に多額であるということができるが、成立に争いのない甲第一号証、原告及び被告の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件スナックにつき、被告が、内装工事をなし、カウンター、バック棚、冷蔵庫、ガスレンジ、製氷機等スナック用備品を設置するなどして、金一二〇〇万円を超える多額の費用をかけた上でこれを賃貸していること、本件賃貸借契約の締結に当たり、被告は、原告に対し、保証金として金四五〇万円の交付を要求したが、原告が右金員を用意できなかったことから、前記の金三五〇万円に減額されたこと、本件賃料には内装の減価償却費や備品レンタル費を含んでいないことが認められる。したがって、本件賃貸借における敷引額が金二二五万円であることが不相当に多額であるということはできない。したがって、本件賃貸借における敷引額が金二二五万円であるからといって、前記の「重大な損害」の範囲を余りに狭く解釈すべき理由はない。

そして、そもそも、本件スナックは、被告がスナックとして賃貸する目的で、スナックの営業用に特別に内装を施している等の事情に鑑みるとき、右の「重大な損害」とは、スナックとして通常営業しているだけでは発生せず、しかも、これを補修するのでなければ新たにスナック用店舗として賃貸することが困難で、かつ、右補修のために相当多額の出費を要するものをいうというべきである。

4  成立に争いがない甲第三号証及び被告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる乙第一号証の一ないし四並びに被告本人尋問の結果によれば、抗弁2の事実を認めることができる。

そこで、以下、右損害が前記の「重大な損害」に当たるか否かについて検討する。

(一)  カウンターの焼け焦げについて

原告及び被告の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、右焼け焦げは店の客が付けたものであり、焼け焦げによりカウンターに窪みができていたことが認められ、しかも、焼け焦げは二〇箇所以上にわたるものであって、右焼け焦げはスナックとして通常営業しているだけでは発生せず、しかも、これを補修するのでなければ新たにスナック用店舗として賃貸することができないようなものであり、かつ、その補修のために相当多額の出費を要するものである。したがって、これは、重大な損害であるということができる。

(二)  床の美装工事費用について

被告本人尋問の結果によれば、右工事は床が黒かったことから洗ったものと認められるところ、通常に使用していても床は汚れるものであるから、右は、通常使用を越える重大なものと認めることはできない。

(三)  トイレ水槽内部のロータンクの損壊について

原告及び被告の各本人尋問の結果によれば、右ロータンクは、店の客により壊されたものであり、真ん中で二つに割れていたことが認められるところ、スナックとして通常営業しているだけではこのような損壊は考えられず、しかも、賃貸するには、補修を要し、その費用も多額である。したがって、これは、重大な損害であるということができる。

(四)  天井壁クロス及びトイレ天井壁クロスの修理費用について

原告及び被告の各本人尋問の結果によれば、原告が天井壁クロスに絵画を打ちつけたことにより穴が開いていたこと、トイレの壁に被告に無断でロールタオルを設置し、その結果壁の色が変色してしまったことが認められるものの、スナック営業は接客業であることからすれば、原告の右行為は、スナック営業下における通常使用の範囲内のものと認めることができる。したがって、これは、重大な損害であるということはできない(なお、被告は、本件賃貸借契約時、クロスに物を打ち付けないことを原告が了解していた旨供述するが、前掲甲第一号証にかかる記載が存しないこと及び原告の供述に照らし、被告の右供述を採用することはできない。)。

(五)  トイレの鍵の修理費用について

被告本人尋問の結果によれば、トイレのドアのノブが壊れていたことが認められるが、これが通常使用の範囲を越える重大なものと断定すべき根拠はないので、これをもって、重大な損害であるということはできない。

三  結論

よって、原告の請求は、被告に対し、保証金残金一〇八万一二九〇円及びこれに対する本件スナックの明渡しの後であり、かつ、本件賃貸借終了の日の後である平成五年一一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官中路義彦)

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